
社会福祉総合センターで「ビハーラ奈良」の総会に出席。
議事終了後、同朋研修会。
講師 ビハーラ大阪代表 本願寺派布教使 (大阪教区豊島北組教學寺) 塚田 博教 師
『歎異抄』 第六条より
「親鸞は弟子一人ももたず候ふ。
そのゆゑは、わがはからひにて、ひとに念仏を申させ候はばこそ、弟子にても候はめ。
弥陀の御もよほしにあづかつて念仏申し候ふひとを、わが弟子と申すこと、
きはめたる荒涼のことなり。」(注釈版 p835)
あまりにも有名なお言葉ですが、親鸞聖人の同朋精神を最もあらわしているお言葉ではないでしょうか。
ともに阿弥陀様のお弟子であります。
『正像末和讃』
「小慈小悲もなき身にて 有情利益はおもふまじ
如来の願船いまさずは 苦海をいかでかわたるべき (注釈版 p617)
「是非しらず邪正もわかぬ このみなり
小慈小悲もなけれども 名利に人師をこのむなり」 (注釈版p622)
宗祖は、自らの上にわずかばかりの優しさも認めませんでした。
『唯信鈔』 結びの文より
「われおくれば人にみちびかれ、われさきだたば人をみちびかん。
生々に善友となりて、たがいに仏道を修せしめ、世々に知識として、ともに迷執をたたん。」(注釈版p1359)
この書物は、宗祖の兄弟子、聖覚法印さまによって著されたもの。
お同行が道に迷われた時、宗祖がいつもお薦めになられたもの。
終わりに・・・
宗祖の対人姿勢は常に同朋精神でありましした。ビハーラ活動も同様です。
親鸞聖人が阿弥陀如来に帰依された理由、それは私が自在に衆生教化できる身となることを
願ってくださったからではなかったか、そのように思えます。
衆生利益のできぬ身。
それは、宗祖自身が何度も試みられた方だからこそ出てきたお言葉であったと考えるのが自然に
思えるのですが、いかがでしょう。 レジュメより
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::::::毎年吉野黒滝から送ってくださる「朴葉寿司」、今年は今日の総会に合せて、手作りしてくださった。
「今年は、朴葉の葉が少し若かったので」・・・・と。
夕食に朴葉のほんのり香る朴葉寿司を、美味しくいただきました・・・ご馳走さまでした。







