福祉給食「なでしこ」のメンバーで紀州路へ研修と親睦の旅。
体調不良でキャンセルを入れたのですが、点滴と投薬のお陰で参加できました。
阪和道から 醤油発祥の地、「紀州湯浅」へ
湯浅醤油・九曜蔵を見学 ・ 3分咲きのジュウガツザクラにほっこり。
時季を迎える甘酒のパック詰め … 忙しそう。
湯浅御坊道路を経て安珍清姫で名高い天台宗・道成寺へ門前で昼食。
寺の創建から230年経った、延長6年の物語。
参拝の途中、一夜の宿を求めた僧・安珍に清姫が懸想し、恋の炎を燃やし、裏切られたと知るや
大蛇となって安珍を追い、最後には道成寺の鐘の中に逃げた安珍を焼き殺すという
「安珍清姫の物語」の悲恋は「法華験記」(11世紀)に記され、
「道成寺物」として能楽、人形浄瑠璃、歌舞伎でもよく知られています。

安珍塚と刻まれた石碑とねじれ曲がった榁の木が痛ましい。
道成寺本堂
仁王門 重要文化財 ・ 「道成寺物」の写真 ・
本堂の向うに風力発電用の風車が何本、何だかミスマッチな風景。
縁起堂で道成寺縁起絵巻の写本を広げて、
安珍と清姫の物語を説明する「絵とき説法」を拝聴しました。
旅のメイン 紀州梅干館での南高梅で梅ジュース作り
作るといっても瓶の中に氷砂糖と梅を交互に入れるだけ!
冷凍の南高梅を使うことで氷砂糖がより早く浸透するしそうです。
南高梅のジュース出来上がり! 帰宅して5日後の梅ジュース
日暮れが早くなりました … 16:00近い白浜 車窓から円月島を臨む。
薄暮の白良浜と白浜温泉ホテル街
白浜温泉 むさし で宿泊
すっかり出来上がったなでしこの仲間 … 知られざる一面を垣間見せていただきました。
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翌朝の白良浜海岸散歩 … 波によって流出して浜を回復させるため
和歌山県がオーストラリアの砂を投入してきれいな白い砂が保たれている。
砂浜は昔・昔と同じような真っ白の砂でした。
海岸の遊歩道に潮風にもまれて咲くお花。
ハマアザミ キク科 アザミ属 別名 ハマゴボウ
アゼトウナ キク科 アゼトウナ属
トラベの実 トベラ科 トラベ属
向うに小さく円月島
朝 9:00 太平洋の大海原に向かって白い砂岩が広がる景勝地白浜千畳敷へ。
仲間のほとんどが「何十年ぶりかなあ!」とそれぞれに。
アロエの群生道から三段壁へ 三段壁の向うはラピスラズリ色の太平洋
崖の高さは50mもあり、下を眺めると足がすくみます。
崖下の「三段壁洞窟」は平安時代の熊野水軍の隠し洞窟だったと伝えらています。
とれとれ市場南紀白浜で海産物のお土産を積んで昼食場所 紀三井寺門前へ。
昼食を済ませて、「みかん狩り」までの時間を利用して
数人で紀三井寺本堂へ …… 階段が厳しいという理由でほとんどの方がパス。
「紀三井山金剛寺護国院」 正式名を初めて知りました。
開花宣言の目安となる和歌山地方気象台指定の
楼 門 (国指定重要文化財) 標本木(ソメイヨシノ)が本堂前にあります。
突き出した半島は新和歌浦 …… ここからの眺めは、四季を通して素晴らしいです。
昼食場所間近での「みかん狩り」 ・・・ 何と言っても食事後間もないので、
食べ放題のみかんも、小さいみかん3つが関の山!
元は取れていませんが、とても甘いみかんでした。
最終の見学地 …… 海南市紀州漆器のまち 黒江散策へ。
ボランティアガイドさんが案内くださいます。
家並みはのこぎりの歯のように並び、どの家の前にも三角形の空き地があるのが特徴です。
江戸時代に黒江の入江を埋め立て平行四辺形の宅地に家を建てたためとか。
このあたりが美しい入り江だった頃、干潟の中に牛の形をした黒い岩があったため、
黒牛潟(黒牛の江)と呼ばれていたのが黒江の名の由来とされています。
万葉集にも読まれています。
黒牛方 塩干乃浦乎 紅 玉裙須蘇延 徃者誰妻
黒牛潟 潮干の浦を 紅の 玉藻裾引き 行くは誰が妻 巻9-1672
木地屋さんでお気に入りがあったので、連れ合いの黒江塗りのお箸をお土産にしました。
休憩所の黒牛茶屋
黒牛の名水で造られた清酒 「黒牛」の酒蔵。
室内は古い酒樽などを利用したとても雰囲気のある落ち着いた休憩所です。
全てのスケジュールが無事に終了帰宅の途にバスは出発。
幹事さんにはご苦労をおかけしました。
車内での飲物サービス・外れ無しのビンゴゲームに・じゃんけんゲーム、
すっかり本気でゲームをして悔しがっているいる自分に苦笑。
福祉給食、今年も残り少なくなりました。
待っていただいているお方がおられるから、なでしこのメンバーは、頑張れるのです!

2012/11/9 ・10