「倶會一處」(くえいっしょ)で …

2月25日(月)

    30年来の親しい法友がお浄土に往生された。

        浄土真宗では、迷いの世界であるこの世の命を終えて、

        悟りの世界である阿弥陀仏の浄土に往き生まれることをいいます。

        単にいのちを終えるのではなく、生あるうちにお念仏の教えに出遇い

        「極楽浄土へ往生して、佛として生まれる」という意味になります。


  『佛説阿弥陀経』 に  「得與如是、諸上善人、倶會一處 というおことばがあります。

     (かくの如きの諸上善人と倶に一處に會することを得ればなり) ・・・ と。

     このようなよき人々と倶に浄土という同じ場所(処)に集う(会する) … と。

            自らもいつか必ず同じ浄土へ往生する、と受け止める事ができるのです。


            生は偶然にして 死は必然なり     (金子 大榮師)

                      おことば、こころの奥深くにストンと落ちました。


         2週間前、彼女から電話が入りました。

                「やろいさん、長いこと色々お世話になったなあ ・・・ 有り難う!」

               そんなひと言から始まった … 流れた涙がエプロンにポタリ…

                  頷いて 「うん!うん!」 と … 辛くてとても悲しかった。




             電話を切ってから…たまらなくなった気持ちをひと呼吸おきたかった。

             お寺の前住さんにお会いしに行った。

             前住さんと暫くお話して気持ちが落ち着いてから、法友に会いに行った。

             彼女の容態は、腹水が溜まってもうすでに末期が近いようだった。

             ただただ過ぎ去った思い出話に涙して、「また倶會一處でな」・・・と。

             仏縁に遇えたことをお互いに喜んだ。



             この日の来ることは随分前から本人から知らされていた。

             それ以後、旅もご一緒… 福祉給食も … お寺のお斎作りもご一緒だった。

       最後は「末期がん在宅ケアデータベース」 を選択して、医師の往診を受けておられた。

                 検査数値から考えると、ここまで生かされたのは不思議のひと言・・・

                     そんなふうに医師から言われていたそうです(子どもさんお話)

            


             自身の葬儀の事、残していくもの…全て生前に整えて子ども達に伝えておられた。

             がんという病気が残りの時間の使い方を教えてくれたのです。

2月26日(火) 

          
       通夜式に参列して驚いた … 

       1年前に奈良教堂の報恩講にお参りした時、お斎をいただいた後大池へ散策、

          その時に「遺影したい・・・」と願われて私が撮った写真が、微笑んでいた。 

                      
                           涙 ・ 涙
 

       参列されていた法友と手を取り合ってことば無しに、頷きあいながら涙した。

       住職さま拝読の 白骨の御文章 … 自身のこととすんなり胸に落ちた。


           
                        静かに合掌し込み上げてくる涙で見送った。

     

        2日後に迫った浄照寺永代経法要にお出しするお斎作り、彼女のいない大きな空白。

                     彼女の想い出話で賑やかに埋めてましょう。





                 浄照寺庫裏玄関前の紅梅の蕾が大きく膨らんで1・2輪が咲いていた。


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            この梅の時期になると多くの法友たちが彼女のことをを思い出すことでしょう。


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           お見送りして帰宅した雨上がり、玄関前のクリスマスローズの蕾が迎えてくれた。

                     何だか春を実感でき癒しの一翼も担うてくれているよう。
                              

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