
9月12日 「豊臣秀吉時代の天守の存在を示す礎石群が見つかった」 と発表された大和郡山
市の郡山城跡。
長く実態が分からず「幻の天守」と呼ばれた一方、天守は実在し、江戸初期に二条城、さらに淀城
に移築されたとする説もあったそうです。
9月19日(金)20日(土)現地説明会があったのですが、21日に郡山城ホールで開催される
奈良フィルハーモニー管弦楽団による 「3大交響曲」の招待を受けていたので、「そのついでに
なんて!」安易な気持ちで現地に行ってみました。
当然ですよね … 全て柵が施されて天守台に立ち入り禁止状態にもどされていました。
豊臣秀長ゆかりの郡山城、天守台遺構(内堀外側から)
五拾間馬場跡(南西方向)から眺めた天守台。
郡山城の天守閣は、高さが約15~20メートルで、 5階建て相当の城と分かったそうです。
西側から眺めた天守台
モチの大木がたわむかと思えるように実を付けている場所 …馬場先門近くから。
郡山城は築城から明治時代に廃城となるまで天守閣に関する史料はほとんどなく、
天守閣はなかったとする 説もあったようです。
現在の東から天守台に上る階段は明治時代に造られたもので、やぐらの発掘では築城時に
使われたとみられる南からの入り口も確認しされた…と。
天守台南東にあるやぐら跡では、豊臣家と関係のある城だけに使用された菊花文様の
金箔瓦の破片も初めて出土した。
天守台からは秀吉の大坂城の金箔瓦と同じ鋳型で作られた軒丸瓦も見つかった。
出土した瓦の文様などから本格的な築城年代は、秀長や、豊臣五奉行の一人、増田長盛らが
城主だった16世紀末と判明した… と。
天守閣は関ケ原の戦い後に解体されたとされ、絵図などから江戸時代を通じて存在しなかった。
映像は 産経フォトより … 大坂城の金箔瓦と同じ鋳型で作られた軒丸瓦
北東の内堀の隅から眺めた天守台と柳沢神社
天守台の立つ本丸の東面石垣だけで、51点の転用材を再確認されています。
天守台の礎石や城の石垣に、多数の石仏や石塔、墓石が転用されています。
集中的に転用材を使っているのは、全国的にも例がないと。
墓石など転用材を使っている石垣が遠くから確認できます。
郡山城跡は、日本 さくら名所100選にも選ばれている桜の名所です。
内堀に面して多くの桜が植えられています … ので天守台も見え隠れ…
梅林門から城外へ、追手櫓付近内堀の漆の木、桜の葉の一部分も紅葉が始まっています。
今年は随分早そう。
本来の目的 奈良フィルハーモニー管弦楽団 「三大交響曲」 指揮 角田 鋼亮
定期演奏会会場やまと郡山城ホールへ急ぎます … 14:00開演。
* 交響曲第5番ハ短調 「運命」 OP. / L.V.ベートーヴェン
* 交響曲第8番ロ短調 「未完成」 D485/F.シューベルト
* 交響曲第9番ホ短調 「新世界より」 op.95/A.ドヴォルザーク
親しんでいる交響曲 … 約2時間余り、引き寄せられ感動と至福の時間をいただきました。
ひまわりのお仲間Sさん感謝です。

9月23日(火)秋分の日

10:00 青垣生涯学習センター 弥生の里ホール
「 田原本は、大和申楽の発祥とされ、能の四座の中の金春流の屋敷があったり、
法貴寺の舞庄の発掘調査では、室町時代の翁面父尉が出土しました。
この面は能面の中でも最も神聖視され、神能「翁」を演じるときに用いられるものです。
そんなお話で始まり、村屋坐彌富都比売神社 守屋 広尚 宮司さんの巫女舞 (扇舞)を鑑賞。
奈良・金春家元 金春 穂高 氏のお話 「仕舞の所作と能・狂言について」
巫女舞 (扇舞) 村屋坐彌富都比売神社 守屋 広尚 宮司 奈良金春家元 金春 穂高 氏
奈良・金春家元 金春 穂高 氏 より 能の演目は、5つのジャンルに分類されます …
「神、男、女、狂、鬼 」 と。
神 高砂 (仕舞) 男 敦盛(仕舞) 女 (仕舞)
狂 (雑能・狂女物) 角田川(仕舞) 鬼 船弁慶 (仕舞) 金春 穂高 氏
「能は見えないものを感じて心で観ていただくもの…観えましたか!」 … 印象的な言葉でした。