
10:30 大分県臼杵市 国宝 臼杵石仏(磨崖仏)観覧へ。
1995年(平成7年)には、磨崖仏として日本初、彫刻としては九州初の国宝に指定されました。
もう15年以上は経つでしょうか…連れ合いと国東半島めぐりの旅で初めてこの石仏を訪ねています。
ホキ石仏第2群第1龕
2龕(がん)からなり、第1龕には阿弥陀三尊像が見事な技術で掘り出され、その堂々とした軀体、
中尊と両脇侍のそれぞれに異なった豊かな表情など、まことに見事な磨崖仏です。
※ ホキとは、「がけ」という意味の地名です。
阿弥陀三尊像 (ホキ石仏第2群第1龕)
第2龕は、「九品の阿弥陀」と呼ばれ、比較的小さな仏像が彫られています。
平安末期の作といわれています。
九品の阿弥陀像 (ホキ石仏第2群第2龕)
ホキ石仏第2群から眺めた臼杵石仏公園 … 満月寺 石 塔
ホキ石仏第1群への散策階段 … 両土手にヒガンバナが満開でした。
地蔵十王像 (ホキ石仏第1群第4龕) … 鎌倉期の作
中尊に地蔵菩薩をすえ、冥府にあって亡き者の罪を裁き救済する十王像を左右に5体づつ配しています。
錫杖を持たず、右足を座し左足を立てている地蔵菩薩は古い様式で珍しく、光背の彩色唐草紋も残っています。
如来三尊像 (ホキ石仏第1群第3龕) 平安末期の作。
如来三尊像 中央の三尊は、中尊に金剛界大日如来を配し、右に釈迦如来、左に阿弥陀如来が並んでおられる。
三尊とも膝前(しつぜん)が長く広いのが特徴で、如来像の台座には、願文や経巻を納めたであろう円や四角の穴がある。
如来三尊像 (ホキ石仏第1群第2龕) 平安後期頃の作といわれる。
ホキ石仏第一群の中心的な存在である中尊の阿弥陀如来は静まった顔で、眉、目、髭を墨で描き、量感あふれる姿が特徴である。
三尊とも彫技は優れ、ホキ第二群の阿弥陀三尊像の傑作。
如来三尊像 ホキ石仏第1群第1龕 平安末期頃の作。
中尊に釈迦如来を刻み、童顔で親しみやすい表情で語りかけてくる。
調法はやや劣り螺髪の刻み方など簡略化した跡がみられ、素朴な印象をあたえる。
臼杵の石仏は、阿蘇熔結凝灰岩に彫られているため風化しやすく、亀裂が入ったり、
剥落したりカビや傷みがひどくなっていたので、14年間かけて保存修理工事が行われ、
各磨崖仏群に覆屋も設置されたとのことです。
山王山石仏への通路から眺めた ホキ石仏第一群覆屋
山王山石仏 (伝薬師如来坐像、伝釈迦如来坐像、阿弥陀如来坐像)平安後期の作。
三体の石仏で、中尊には大きな如来坐像をすえ、その左右には脇尊としての如来坐像を配す珍しい形式をとっている。
邪気のない童顔が心をなごませてくれる。「隠れ地蔵」とも呼ばれ、故安井曽太郎画伯が絶賛した像である。
うっすらと紅を刷いた口元、少年の面影を残したお顔が印象的でした。

古園石仏群の背面丘陵の中腹斜面に位置する山王山石仏
古園石仏
大日如来を中心に左右各6体 計13体の石仏群 平安後期頃の作。
中央に大きく造られた金剛界大日如来、左右に金剛界四仏(阿閦・宝生・無量寿・不空成就)。

台座に安置の仏頭映像 (修復前)
以前は落ちた仏頭が仏体下の台座の上に
安置され、長く人々に愛され続け、世界的
にも有名であったが、保存の為の修復に合
わせて仏頭も昔日の見事な姿に修復された。
中尊の大日如来像は切れ目に引きしまった口元が極めて端正で気品あふれる表情。
十三体仏の右端、多門天より少し離れた所に仁王 吽形像が刻まれています。
古園石仏 から眺めた臼杵石仏公園・満月寺 … 左手にコスモスが満開でした。
石仏観覧道に咲く秋の野の花
ヒガンバナ ヤブツルアズキ マツカゼソウ キツネノマゴ
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最後の見学地稲積水中鍾乳洞を後に新門司港へ移動。
途中休憩所 別府湾サービスエリアから … 高崎山、別府湾方向。
新門司港 「名門大洋フェリーふくおか2号」乗船タラップから眺めた正午月齢1.9の月。
19:50出航。
船室はレディ専用の洋室のベット、グループだけではないので、遅くまで展望ストリートでおしゃべりして、
展望風呂に入浴後就寝。
9月27日(土)

日の出 5:49
淡路島から日の出 … フェリーのデッキから眺める。
フェリーのデッキから … 明石海峡大橋 右 淡路島
9月27日 7:01明石海峡大橋通過。
明石海峡大橋真下を通過。
明石海峡大橋と淡路島
8:30 大阪南港フェリーターミナル着。
8月初旬から予定に入れていた待ちに待った旅が終わりました。
わずか4名の友で、日程を合わすことの困難さを何時も感じています。
毎日が日曜日の年齢をいただいていますのに、各々老いてなおままならない日暮らしです。