JR姫新線 本竜野 13:16発 姫路へ。
JR神戸線に乗り換え、13:52 加古川着 駅からタクシー2台に分乗して鶴林寺へ。
播磨の法隆寺と呼ばれる 天台宗 刀田山 鶴林寺
589年、聖徳太子が16才の時、秦河勝に命じ仏教をひろめる為の道場として建立。
釈迦三尊と四天王を安置、「四天王寺聖霊院」と称されたのがこの寺のはじまりといわれ、
播磨の法隆寺とも呼ばれています。
鶴林寺 楼門形式の 仁王門
吽 形 阿 形
仁王門から 国宝 本堂
仁王門から三重の搭

三重の搭
鐘楼 重文 (1407年・室町時代) 建立 入母屋造り、本瓦葺き。
朝鮮・高麗時代に鋳造され、澄んだ高い音色は黄鐘調 といわれる。
新薬師堂

1000年の伝統を持つ修正会
国宝 本堂でお勤まりの「悔過法要」
世の人々の過ちを悔い、今後の平安を祈願。
法要が終わると祭壇前が片づけられ御簾が取られ15:00頃より鬼の舞が始まります。
最初は子鬼が左右で2組みに別れ、杖を床に降ろして「ドンドン」踊ります。
斧や松明を手にした鬼が参詣客の中に乱入し、招かれている保育園児たちが、
「ドイヤショウ」 「ドイヤショウ」 「ドイヤショウ」 との掛け声で熱気が高まります。
国宝 鶴林寺 本堂
和様に禅宗様や大仏様が取り入れられた、折衷様の傑作。
鶴林寺が繁栄を極めていた室町時代中期の応永4年(1397年)に建立。
左手に斧・槍、右手に松明を持って迫力あります。
本堂に入れなかった参拝者のために本堂の回廊でも鬼の舞。
常行堂 重文 (平安時代) 歩きながらお経を唱えて修行するお堂。
昭和14年に解体修理が行われた時、床下からドクロが30も発見されたそうです。
戦国時代、鶴林寺に攻め入った羽柴秀吉軍との戦いの犠牲者を弔ったものだろうと言われています。
真横から見た 国宝 本堂 重文 常行堂
昨年の大河ドラマ「軍師 官兵衛」の妻光のゆかりの地、鶴林寺との案内板。
光は加古川の志方城主の娘であったが、官兵衛の正室となり姫路城に入った。
本堂左側大木のボダイジュの果が散って
モッコク の大木
へら形の苞葉のみが残っています。
