2ヵ所目…イベントで貸切!
3ヵ所目、大雑把な地図に困惑 … 漸く探し当てました。
「CAFE・鍼灸 ZADAN」 自家焙煎珈琲が自慢の専門店 古民家カフェ。
ホットサンドと自家焙煎したスペシャル珈琲をいただきました。
カフェカップはウェッジウッドでしたよ。
お店の中から東院伽藍夢殿への築地塀が見えるのです。
食事が終わった頃には、激しく叩きつけるよう雨は幾分おさまってきました。
お店からすぐ、東院伽藍夢殿(上宮王院夢殿)への築地塀。
聖徳太子が住まわれた斑鳩宮跡に、行信僧都という高僧が、聖徳太子の遺徳を偲んで
天平11年(739)に建てた伽藍を上宮王院(東院伽藍)といいます。
その中心となる建物がこの夢殿です。 リーフレットより
夢殿前の手水舎蛇口は 「鳳凰」 のようです。
国宝 東院鐘楼 (鎌倉時代) と回廊。
東院鐘楼は袴腰と呼ばれる形式の建物です。
内部には「中宮寺」と陰刻された奈良時代の梵鐘が吊されており、
中宮寺から移されたものといわれています。
梵鐘は、古くから舎利殿の舎利を奉出するときや、東院伽藍で法要が営まれる時の合図として
撞かれているそうです。
礼堂 (重文) 鎌倉時代の建築 … 礼堂は夢殿を礼拝するためのお堂、蔀戸が特徴。
夢殿から回廊を。
夢殿から 回廊前の桜の古木
夢殿から 左 絵殿 右 舎利殿。
絵殿 聖徳太子一代の事跡を描いた障子絵が納められた絵殿。
舎利殿 聖徳太子が2才の春に東に向って合掌され、そしてその掌中から出現したという
舎利(釈迦の遺骨)を安置する建物。
八角円堂の中央の厨子には、聖徳太子等身と伝える秘仏救世観音像(飛鳥時代)を安置し、
その周囲には聖観音菩薩像(平安時代)、乾漆の行信僧都像(奈良時代)、平安時代に夢殿の
修理をされた道詮律師の塑像(平安時代)なども安置しています。
この夢殿は中門を改造した礼堂(鎌倉時代)と廻廊に囲まれ、まさに観音の化身と伝える
聖徳太子を供養するための殿堂として、神秘的な雰囲気を漂わせています。 リーフレット
今回は10月22日より夢殿秘仏・救世観音菩薩立([国宝)特別開扉(秋季) され拝観のご縁でした。
わくわく奈良情報館 よりお借りした映像
聖徳太子の在世中に作られた、聖徳太子の等身大の像だと言われています。
739年に夢殿に納められて以降、「観音菩薩立像(救世観音)」は、明治時代まで
完全なる秘仏であり続けたそうです。
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東院伽藍続きに旧斑鳩御所 中宮寺 へ。
中宮寺山門
表御殿正面の樹の実に目がとまった。
「菴羅樹(あんらじゅ)」 カリンの一種と案内されています。
辞書にはマンゴー。仏典では,美味の代表とされる。菴没羅(あんもら)。菴摩羅(あんまら)。
インド、ガンジス川中流域のバイシャーリー市郊外にあるマンゴー樹の園林。
釈迦はここで維摩(ゆいま)経を説いたという。
どうやらマンゴーのようではなさそうです?
カリンより実は大きく感じましたが、よくわかりません。
この実をどうされるのかなあ…
築地塀に沿って本道への参道にはヤマブキが植わっています。
中宮寺本堂 (昭和43年5月落慶)
わくわく奈良情報館 よりお借りした映像
ご本尊 国宝 菩薩半跏像 如意輪観世音菩薩
東洋美術における「考える像」で有名な、思惟半跏のこの像は、飛鳥時代の彫刻の
最高傑作であると同時に、わが国美術史上、あるいは東洋上代芸術を語る場合にも
欠かすことの出来ない地位を占める作品であります。 リーフレット
本堂前に会津八一の歌碑。
みほとけ の あご と ひぢ とに あまでら の
あさ の ひかり の ともしきろ かも
雨の中ヤマブキの緑が鮮やかな参道を婆たちが中宮寺を後に。
法隆寺参道にもどって塔頭の塀からカリンでもなし、 中宮寺の菴没羅でもなし、
大きな果実です … マルメロとか?
マルメロは秋が旬の果実で、「セイヨウカリン」とも呼ばれ、見た目がかりんに似ていて
熟すと果皮が明るい黄色になりよい香りが漂います。生食には適しておらず
果実酒やハチミツ漬け、ジャムなどに利用されます…と。
雨は止みそうにありません…東院伽藍から参道を西大門へと。
法隆寺の子院、普門院の山門の屋根の瓦には目をみはりました。
鯱・鬼瓦… 降りかかる雨粒
西大門近くから五重の塔を振り返ります。
西大門から東大門方向 … 右は大湯屋表門(重要文化財)
5時間近く法隆寺を散策 … まだ拝観していないところがあります。
今日はここまでで帰宅します … 4婆は堪能とこころの洗濯ができました。
法隆寺境内は甲子園球場の4.7倍 とか … 全てゆっくり拝観するには1日では足りないようです。