
お寺で月1回、仏婦主催の「歎異抄を学ぶ」が始まって1年が経過しました。
そんなご縁で、歎異抄を記された親鸞聖人高弟である唯円坊ゆかりの 立興寺、浄土真宗中興の祖、
蓮如上人ゆかりの願行寺、本善寺参拝のバスの旅を計画してくださって、秋の吉野を訪ねました。
浄土真宗 本願寺派 恵日山 東坊 立興寺 山門。
立興寺 本堂前
立興寺 本堂 内陣 左 唯円大徳坐像。
山号額 「恵日山 東坊」
本堂 内陣

唯円大徳 墓所への参道 … イワヒバ が切り立った岩にびっしり張り付いています。
イワヒバ (イワマツ) イワヒバ科 イワヒバ属
枝葉が桧に似ており、岩の上に生じるから。
別名をイワマツ(岩松)とも言う。
唯円 大徳 … 大徳(徳の高い立派な僧) 墓所。
微かに 「開基唯圓法師墓」と読めます。

唯円大徳 墓所から立興寺本堂の甍。
立興寺さまから徒歩10分、秋野川に架かる問屋橋を渡ると吉野御坊 「願行寺」 門前。
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至心山 願行寺 (下市御坊)
願行寺は秋野坊舎といい、応仁2年(1468年)に本願寺第八世蓮如上人が
吉野の要地伝道の本拠として開基されたと伝えられています。
本願寺門跡正院家ならびに中本山として、大和・近江・摂津に70以上の末寺を持ち、
吉野83ヶ寺をまとめ「下市御坊」とよばれてきました。
本堂 蓮如堂
本堂は本格的な浄土真宗の古風な形式を多く留める数少ない建造物です。
山号額 「至心山」
珍しい形の欄間彫刻・襖絵は江戸時代のもので、狩野派の絵師によるもの。
上段の欄間、鼓と琵琶?? 訊ねる機会がありませんでした。
本堂から渡り廊下で蓮如堂へ。
御簾で仕切られた大きい本願寺型仏壇の奥に蓮如さんの木像がご安置。
本堂と大書院との中間に位置する庭園は、石組みを主とし、玉石を敷きつめ、
平坦地を水面に見立てた枯山水式平庭を取り入れた県指定の文化財です。
書院上段の間 庭園から書院への柱の釘隠し
願行寺さま参拝後、バスは昼食場所奥吉野湯盛温泉 ホテル杉の湯へ。

ロビーから眺める大迫ダム湖 … 山の紅葉は少し早いようでした。
道の駅 杉の湯 川上 R169 熊野 ・ 大台ケ原へ
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杉の湯で昼食をすませて、入浴は自由だったので、おしゃべりで時間を過ごしました。
最後の参拝、上市 浄土真宗本願寺派 飯貝御坊 六雄山 本善寺さまへ
経蔵 ・ 鐘楼 ・ 山門
山門 … 一間一戸 薬医門 総欅造り 本瓦葺。
本堂正面 山号額 「六雄山」 … 文如上人筆
本善寺は、文明8年(1476年)、蓮如上人の御創建であります。
上人自らお同行と共に汗をながして立てられた、全国でも数少ない寺院の一つです。
本堂正面、他寺では山号額がかけられている場所に大きな鳳凰の彫刻。
客殿 書院
鐘楼 … 吹放ち鐘楼、重厚な入母屋造本瓦葺。
経蔵
正面奥、蓮如堂 手前 拝堂
拝堂の後方の青空に上弦の月がとても綺麗だったので、何枚か撮って目を凝らして
期待して探したのですが、私の小さなデジカメには全て映っていませんでした。
多分、撮り方もわからなかったのかも。
自身では何度か参拝させていただいたのですが、今回は歎異抄をご縁に法友たちをともに、
晩秋の吉野を堪能させていただきました。
釣瓶落としの夕暮れの風景を車窓からは何となく気忙しく感じたことでした。
今回の参拝に浄照寺住職さまが作成くださったパンフレットの案内から抜粋。
奈良県中和部地域(大和)における浄土真宗の興隆は、室町から戦国の世を命がけで布教
された本願寺第8世蓮如上人の御業績が最も顕著ですが、当時強大な影響力をもつ興福寺
への配慮も含め、吉野地域にその本拠地を定められました。
当時の吉野には親鸞聖人の直弟子がすでに布教を行い、お念仏のお法が広く伝えられていた
こともその理由として挙げられます。教線は次第に広がり、お念仏の教えを聞く道場が各地に
創設され、現在の大和の浄土真宗の礎が築かれました。