

昨日夕暮れホテルの窓から眺めた「余島」は4つの島に分かれていました。
今朝、日の出頃には、潮が引き始め弁天島と中余島に道が繋がる様子が確認できます。





左側の島を「弁天島」、そこから砂浜で繋がった4つの島を総称して「余島」と呼びます。
この連なる4つの島へは、1日2回の引き潮の時だけあらわれる砂浜の道を歩いて渡れるのです。
姿を見せては消える不思議な場所として、いつからか「エンジェルロード」と呼ばれるようになりました。
「エンジェルロード」 … が中余島に繋がったようです。
砂浜の道を散策されている方々の姿が確認できます。
お仲間と早速散策に出かけました。
ホテルから徒歩で10分余り …「天使の散歩道」 と、散策道の案内がされています。
すっかり砂浜の道が現われています … 潮が引いた跡がしっかり残っています。
天使の散歩道から対岸の景色。
昨夜宿泊したホテルをこちらからはこんな感じで眺めています。
弁天島から中余島まで散策 … 小余島へはもう少し潮が引かないと行けません。
中余島からエンジェルロードを弁天島へ引き返しました。
自身の記憶ってこんなに頼りないものだったのか!と情けなく落ち込みました。
ホテルが違っただけで この景色が8年前訪れた「エンジェルロード」に結びつかなかったのです。
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8:30 ホテルを出発 … 二十四瞳映画村へ。
土庄から小豆島南東にのびる田浦半島、ここは作家壺井栄さんのゆかりの地です。
夫の壺井繁治さんンの生家の隣にあった堀越分校が小説のモデルになったそうです。
汐江海岸前の二十四瞳映画村はコスモス畑が迎えてくれました。
映画二十四の瞳の像
大石先生と12人の子どもたち。
岬の分教場へ
「二十四の瞳」の舞台となった田浦分校。
明治35年8月田浦尋常小学校として建築された葺平屋建校舎で2教室と教員住宅を含んでいます。
その後、明治43年から苗羽小学校田浦分校として、3教室を使用していましたが、昭和46年3月
閉鎖されました。
教員住宅だったのでしょうか…
「二十四の瞳」の小説の舞台となり、昭和29年松竹映画「二十四の瞳」(監督:木下恵介/主演:高峰秀子)
のロケに使用され、一躍有名になりました。
ユーチューブ映像で自分でも不思議なぐらい、涙が頬をつたいます。
映画を観たのです … 学校で??
分教場前から眺めた汐江海岸
田浦尋常小学校 … 2 教室と教員住宅。
一瞬自身もタイムスリップ … 目をつむるとありし日の想いでがこころの奥にうかびます。
教室には当時のままの机や椅子、オルガン、子どもたちの作品などが残っています。
映画村のあちらこちらに トベラ の果実が弾けて赤い種子が飛び出ています。。
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二十四の瞳映画村から醤の郷 阪手へ。
塩作りが盛んで酵母の発育に適した暖かさ、海上交通で運ばれた大豆や小麦によって、
醤油造りは400年以上の歴史があります。
マルキン醤油記念館 ・ 物産館見学。
大桶のトンネル(おおこがのトンネル)創業時から実際にしょうゆ造りに使われていた
大きな桶「大桶」をくり抜いたトンネル。
この桶は30石(約5.4キロリットル)の諸味を造ることができ、その諸味からは5キロリットル近い
醤油(1Lのペットボトルで約5千本)が搾られます。
このトンネルをくぐり抜けると一気に100年前にタイムスリップ。
しょうゆ造りのために先人達が工夫を凝らしたさまざまな道具類を展示しています。
物産館では醤油ソフトクリームなるものを試食に買っていた方も。
佃煮屋さんへも立ち寄り、好きなチリメン山椒をお買い上げ。
昼食はベイリゾートホテル小豆島で済ませて、福田港へ。
福田港から銚子渓の眺め
福田港か姫路港への小豆島フェリー 1時間40分の船旅です。
フェリーから眺めた採石場 … 山肌はことごとく削り取られています。
福祉給食 なでしこからの旅、泊りでの旅は今回が最後になりました。
個々に諸事情の変化で、家を空けられない仲間が多くなったのが理由です。
食生活改善推進員主催で始まった福祉給食なでしこ … 今年満21年が経過しました。