青春18きっぷ② 和歌山城 ・ 西之丸庭園(紅葉渓庭園)


    雨が止みました。

    JR和歌山駅からタクシーで和歌山城大手門前へ。

    一の橋を渡って大手門をとおると市電の敷石が通路になっています。


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      大手門から直ぐの石垣の上、こちらでもクスノキの大木に出あえました。

      天然記念物にも指定されているそうで、太さ7m、高さ25m、樹齢450年以上といわれています。


                                        市電の敷石で整備された通路。


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                          切り込み接ぎの石垣  

          和歌山城の時代の変遷を石垣の石積みにも変化で見ることも出来ます。

          江戸時代に石材を精密に加工して美しく積んだ勾配の急な切り込み接ぎの石垣。


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              打ち込み接ぎの石垣           野面積みの石垣


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                      美しい 打ち込み接ぎの石垣

           石の表面を粗く加工して接ぎ合わせて積んだ石垣  浅野期と徳川期。


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                              天守閣へ


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   虎伏山に白亜の天守閣がそびえ、御三家の威容にふさわしい風格を醸し出しています。 

   和歌山城は、天正13年(1585)に紀州を平定した豊臣秀吉が弟の秀長に築城させたのが始まりです。

   その築城を担当したのが、築城の名人藤堂高虎でした。
 



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                入場券売り場では私たち以外は海外からの旅行者の方たちでした。


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   まず、秀長の城代として桑山重晴が入り、慶長5年(1600)には、関ヶ原の戦いで

  功をたてた浅野幸長が入城。

  元和5年(1619)には徳川家康の第10男・頼宣が入城し、紀州55万5千石の城となり、以来、

  水戸・尾張と並び、徳川御三家のひとつとして、長い歴史を刻んできました。




                            天守曲輪


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                    天守閣からの眺め  …  西の丸跡から二の丸跡に架かる御橋廊下。


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            天守閣から西の眺め … 和歌山市街が見渡せます。

            西側には紀ノ川から和歌山港が見えます。

            右後方薄っすらと淡路島。

              
            右後方乾櫓は大天守の対角に位置しており、天守の最上階からもよく見えます。

            左側は二の門櫓で、その手前にあるのが天守二の門(楠門)です。


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          天守閣から東方向   …  和歌山の市内と遠く高野龍神の山々が見渡せます。


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現在の天守閣は、昭和20年の戦災で焼失後、昭和33年に再建されたもので、

「日本名城100選」の一つに選定されています。



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                       天守閣から西之丸庭園(紅葉渓庭園)へ


                               和歌山城 鶴の渓


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     裏坂を通って西の丸庭園へ … 裏坂の登り口の石階段には樹の逞しさが。

     自然が作り出した根っこの形が、規模は較べることは出来ませんが、
 
     アンコールワット ・ タ・プロームを訪れた時の樹木の根っのアートを懐かしく想いだしました。
   

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          西の丸庭園への散策道(南側)には、山吹渓と呼ばれた本丸の石垣。


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                          美しい打ち込み接ぎの石垣



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                        西の丸庭園(紅葉渓庭園)の入口


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                     鳶魚閣  …  向うに御橋廊下


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                                  西の丸庭園

     何人かのカメラマンが池の石にとまるカワセミを映しておられました。

     それはそれは50cmはあるようなレンズ?のカメラで重たそう … 

     カワセミの写真見せてくださいましたよ … 肉眼で見えにくいカワセミも可愛い素敵な映像でした。



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             御橋廊下を渡るため、西の丸跡(西の丸広場)から御橋廊下入口へ。


      藩主とお付きの人だけが二之丸と西之丸を行き来するために架けられていた橋で、

      屋根を設け、外から見えないように部屋の廊下のような作りになっていました。

      斜めに架かる廊下橋としては全国的にもめずらしい構造です。   案内より
 


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   和歌山市では、和歌山城整備工事の一つとして、平成11年(1999)から御橋廊下復元工事のため

    史料調査や発掘調査を行い、堀底から礎石や瓦などが出土しました。

    これらの成果にもとづいて、御橋廊下が復元されました。  案内より



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                     御橋廊下内から眺めた和歌山城天守 と 乾櫓



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                    手前  西の丸庭園の向こう側 山吹渓  城天守 と 乾櫓                   


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                        伏虎像

      江戸時代、和歌山城は別名「虎伏竹垣城」と呼ばれました。
      これは、和歌山城の建つ山が虎の伏した姿に似ていたためと言われています。
      この像は、和歌山城の別名にちなんで、昭和三十四年に作られました。
      (現在の像は二代目にあたり、初代の像は銅製であった為、第二次大戦中、供出させました。)



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       大手門に戻って来ました … タクシーを待つ間、和歌山城東側濠を眺めた美しい風景。


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     JR和歌山駅から15:38快速紀州路で天王寺へ戻るはずでした。

      駅に着くと案内で「人身事故のため、鳳-熊取間の上下線で一時運転を見合わせです」放送。

      駅員さんが対応に追われて忙しそう … 「どうしたらいいのでしょう・・・」「向かい側のホームに

      「今のところ15:40発を予定していますが、途中で行き先が変更になる可能性があります」 と。

      でも事故からすでに2時間近く経過 … 大阪へ着くことを念じて、その列車に乗りました。

      少し遅れて発車 … 案の定車内放送 … 「この列車は熊取で和歌山行に変更になります」

      「大阪へのお客様は日根野で関西空港行に乗換、りんくうタウンで、南海電車にお乗換ください」

      そんな案内でした。

      乗客のほとんどが大阪方面のようで日根野で乗換られました。

      りんくうタウンで南海電車に乗り換え、新今宮でJRに乗り換えのため下車。

      南海電鉄の新今宮駅で手際よく渡していただいたのが、この振替(代行)乗車券。

      なるほど… 色んな仕組みがあるのだなあ…と。

      JR新今宮から 大和路快速で王寺へ無事到着 … 遅れること約60分。

      JR王寺駅が最終下車、こちらで青春きっぷの旅は終了解散。 


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          作成した行程表 … 見学地は全てクリア … 詳細な内容は予定通りには行きません。

          今回は旅をして初めての振替(代行)を体験したことでした。

          予定はまさに未定でしたが何よりも無事が有り難いことです。


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