

佛説観無寿経の講座が始まて紙芝居作成のご縁から、資料として、「白文」 「書き下し文」
「現代語訳」の3通りを住職さまが用意くださったのです。
その中の「定善」の「像観」を読んで、直ぐに小野市の 国宝 極楽山浄土寺浄土堂(阿弥陀堂) が
浮かんだのです。
そんなご縁で 国宝 極楽山浄土寺浄土堂(阿弥陀堂) を受講者がバスで訪ねることになりました。
折角の播州路の旅、午前中は姫路の 亀山御坊 本徳寺 参拝。
亀山御坊 本徳寺大門
本徳寺大門左右に続く土塀 … 5000坪の境内
左目隠塀 右 大玄関
目隠塀は、大名行列等の不礼の通過を可能にするために用いられ、
当時塀が無いと表通りが渋滞を起こすそうです。
雨上りのの境内、大玄関 (その昔この玄関を上がるのは、城主と門主)
太鼓楼
境内の桜が満開でした … 12日と決まった時は散り桜だなあ!と。
開花が遅れていたので、思いもよらないお花見をさせていただけました。
本徳寺本堂
1873年3月西本願寺より移築されたそうです。妻入りの珍しい本堂で県下最大の仏堂。
境内一面の「花筵」 この言葉がぴったりでした。
本堂前縁側 縁側から大広間への渡り廊下
200畳敷きの本堂
趣有る渡り廊下
幕末には「新選組」の頓所となっていて、2本の柱には当時の刀疵。
以前は英賀寺内町にあり、英賀御堂と呼ばれた「英賀本徳寺」。
その英賀御堂の遺構も現在は川底に沈んでしまっています。
英賀御堂から移された「釣り鐘(市指定文化財)」
大広間 姫路城主来訪時の公式な対面の場として使用された。
天井画 ・・・ 石川ヨシ子作。 個々の花々はWebから拝見させていただきまいた。
石川さんの実父は鹿島の元会長故鹿島守之助氏。
亀山本徳寺の信徒総代でもあった縁で平成8年に天井画を寄進。
大広間から庭
大広間渡り廊下から本堂の甍
趣有る廊下の端に俗世と聖域の堺門があります。
大広間への渡り廊下から本堂縁側を。
本堂から蓮如堂への縁側から満開の桜。
蓮如堂縁側から
蓮如堂内
堂前の古木の山桜からの芽吹きに感激。

経 堂
姫路市内で昼食を済ませて小野市の 極楽山浄土寺浄土堂(阿弥陀堂) へ移動。
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ここを訪れるのは4度目になります … お気に入りの場所です。
最後に訪れてから10年以上の経過にはなるでしょう … 随分整備されていて驚きました。
桜満開の小野市浄谷町 国宝 極楽山 浄土寺


国宝「浄土堂」は、大仏様(天竺様)という建築様式を用いた建造物で、
東大寺南大門とともに大仏様を伝える数少ない建物です。
国宝 極楽山浄土寺浄土堂(阿弥陀堂)
北側の小さな入口から浄土堂内へ。
A3の大きなリーフレットをいただきまいた。(映像はリーフレットよりお借りしたものです)
A4全体に仏師快慶 阿弥陀三尊〈右)の映像が掲載されていました。
中央 阿弥陀如来立像 (国宝) 像高530cm、寄せ木造、 仏師快慶(1195年) 造像。
右 勢至菩薩立像 (国宝) 像高370cm、寄せ木造、 仏師快慶(1195年) 造像。
左 観音菩薩立像 (国宝) 像高370cm、寄せ木造、 仏師快慶(1195年) 造像。
観音、勢至菩薩が左右逆、阿弥陀如来の手印も逆になっています。
雲座に乗る三尊のは、中国密教の影響らしいです。
阿弥陀如来が乗られる雲座の後に不思議なしっぽのようなもの…
尋ねました …「雲のたなびきです」と教わりました。
今、観無量寿経の講座の中に「九品浄土(9の等級に分けられた浄土)」という言葉が語られます。
浄土寺浄土堂は柱によって9分割されていて、観無無量寿経に説かれた九品を形式に造られて
いるそうです。
浄土寺阿弥陀三尊は中央の九品の中の真ん中、中品中生の位置にご安置されています。
浄土堂背面(西) … 透かし蔀戸になっています。
陽が西に傾く頃、阿弥陀三尊像の後方にゆっくりと太陽が直接お堂に入ります。
ヒノキの床に反射し、堂内全体が明るくなって、お堂は朱で染められ、床で反射した光は
建物内で乱反射し、化粧屋根裏の高い部分から反射を重ねて仏像の前面へと広がってゆきます。
リーフレットの写真のような感じです。
透かし蔀戸
古木の満開の桜 … 後方は文殊堂
鐘楼堂
本殿八幡神社 拝殿
境内満開の桜 … 後方本堂薬師堂 右 開山堂
本堂薬師堂
開山堂
阿弥陀堂 正面
満開の桜と阿弥陀堂甍
鐘楼堂
拝観終わって再び振り返った阿弥陀堂
少し陽が西に傾き始めています … 今からの拝観が最も美しいかも。
連れ合いと20年位前になりますが、これほど整備されていないこ頃、映像のような阿弥陀三尊を拝観
したくて、夕日の時間に合わせて出かけたことがあります。
拝観者が誰もいない堂内で三尊の前で座らせていただいて、写真と同じ阿弥陀三尊を拝観できました。
その情景は何時でもこころの引き出しから開けて拝することができます。