

梅雨真っ盛り! 以前から決まっていた近場、明日香路の旅。
お泊りでの明日香路は多分今回が最初で最後になることでしょう。
14:00過ぎの近鉄で桜井下車 … タクシーで本日の宿舎、ホテルウェルネス大和路へ。
荷物を置いて、早速最初の目的地奈良文化財研究所飛鳥資料館へ。
最後に立ち寄ってから10年は経過しています。
奈良文化財研究所飛鳥資料館
飛鳥の田園風景の地下には、「日本書紀」に記された世界が、時を止めたまま埋もれています。
発掘された遺構や遺物は、埋もれていた時の長さを訴えるかのように、雄弁に歴史を語り始めます。
「日本書紀」などの文献に書かれた歴史と、発掘された歴史のせめぎあいを通して、ほんとうの歴史
がみえてきます。
飛鳥資料館では、そうした飛鳥の歴史をわかりやすく展示しています。
飛鳥資料館入口橋の上からの眺めは、澄んだ川の流れ、樹木と紫陽花が映えています。
広場の芝生に噴水の機能を持つ石造物で、「須弥山石」 レプリカ …本物は館内に。
65歳以上は証明があれば無料 … 4婆は、容姿でも確認できますよ。
常設展示室は、山田寺にスポットをあてた展示をされています。
写真撮影はフラッシュ無しで許可されています。
山田寺は、大化の改新で有名な蘇我倉山田石川麻呂が、641年に建設をはじめた初期仏教寺院です。
1982年の発掘調査によって、その東回廊が、倒れた状態で地中に埋もれているのが見つかりました。
山田寺東回廊は、現存する世界最古の木造建造物である法隆寺よりも古い例となります。
1,000年以上もの間、地中に眠っていた部材は、保存処理に、14年の歳月がついやされたそうです。
当時の建築構造と規模が分かるように組み立てなおし、当時の山田寺の東回廊を再現しています。
2007年には国の重要文化財に指定されました。
仏頭 国宝・仏頭(薬師如来)のレプリカ
白鳳時代を代表する国宝・仏頭(薬師如来)は、興福寺国宝館に。
仏頭(薬師如来)の数奇な変遷、685年、蘇我倉山田石川麻呂の祥月命日に仏眼を点じ、その後、
興福寺の僧が当時荒廃していた山田寺の薬師三尊像を強奪し、興福寺の東金堂のご本尊に。
その後、東金堂は雷の火災で、この仏像の胴体が失われ、頭部だけ残ります。
1937年(昭和12年)に興福寺の東金堂の修理中に須弥座の下より仏頭が発見されました。
蓮華文鬼瓦
もともと鬼瓦に鬼はいなかったそうです。
かわりに蓮華文などの文様が多くありました。
何故だかこの蓮華文鬼瓦に引き寄せられて、その場に長く居たような…
飛鳥の古墳、高松塚古墳の出土品(重要文化財)や、調査時に撮影された石室内の高精細写真など
が展示されて何度拝見しても凄いなあ … と。
キトラ古墳石室の陶板模型、

重要文化財 石造 須弥山石 (飛鳥時代・6~7世紀)
明治35年(1902)に、飛鳥の石神遺跡で発掘。
基部付近から、が出るようにつくられて庭園に置かれ、人々の目を楽しませたものであろうと。
重要文化財 石人像 (飛鳥時代・6~7世紀)
須弥山石とともに発掘されたもので、同様に古代の噴水施設とされています。
盃を口にあてた男性に女性が寄り添う形をしています。
ゆっくり拝観していると、閉館30分前の案内がありました。
見残している部分が多く残っていましたが、慌てて重要部分を駆け足で。
17:00閉館前に退館。
日が一番長い時期なのでお天気はいまいちですが、外はまだまだ明るいです。
今にも雨粒が落ちてきそうな夕暮れの資料館前から眺めた明日香村。
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現存する世界最古の木造建造物である法隆寺よりも古い発掘され再現された
山田寺東回廊の余韻を残したまま、距離的にはすぐ近くになる山田寺跡へ移動。
現在は国の特別史跡に指定されています。
案内版が数ヶ所に設置されていますが、それ以外は何もなく夏草が芝生を隠しています。
山田寺宝蔵跡
国の史跡なので手入れはされていますが、この時期の夏草の勢いは時間との戦いでしょうね。
発掘調査によって、完成当時は東西118m、南北185mの寺域に、
南門・中門・塔・金堂・講堂が南北一直線に並び、回廊が塔と金堂を囲む
伽藍配置だったことが判明しているそうです。
ヒメジョオン キク科 ムカシヨモギ属 の白い花が雨上がりのグリーンの夏草に
ゆらゆら映えて見えます。
金堂跡 長方形の「礼拝石」の復元がされていました。
一面にタンポポの綿穂ように見えますが、ブタナ キク科 エゾコウゾリナ属 のようです。
5月後半になると花から綿毛となり、山田寺跡草原の主役になっているようです。
資料館で拝観した「東面回廊」が建物全体が倒れた状態で発掘され、
柱や連子窓などが程度のいい状態で見つかった場所です。
夏草や 兵どもが 夢の跡 … 1000年以上も遠い昔の夢跡夏草です。
ハナハマセンブリ ・ ブタナ ・ ネジバナ ・ ヒナキキョウの花が多くみられました。
山田寺跡から徒歩で10分少し、宿舎に帰ってきました。
お風呂で汗を流してからレストラン「やまと」で夕食をいただきました。
多くもなく少なくもなく、飛鳥の宿にぴったりな献立で嬉しくいただきました。
鮎の塩焼きの下には蓼が敷かれ、 蓼酢も香りから手作りのようでした。
夜更けから雨音が強くなりました。
明日の雨の予定行動を相談しましょう。