太子道 ( ヒガンバナ/ハナモモの実) ・ ホオズキ(鬼灯) 飾り鬼灯



住まいする町に隣接する三宅町役場へ。

三宅町に半世紀を経過した木造建築が在り、その建物の耐震診断の申請をお願いに。

1度で書類が揃わず再度自転車で走ることになりました。

自宅から緩和病棟を通過して、太子道を同距離ほどを走ることになります。



   「太子道」は、万葉時代聖徳太子が「斑鳩の里」から「三宅の原」を経て、

   「飛鳥の宮」を往来された道なのです。


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          病院を過ぎると、春に八重の紅白のハナモモが競うに咲かせてくれる場所を通ります。

          そのハナモモノ木陰に群れて咲く、ヒガンバナ … 満開には少し早いようです。


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                群れたヒガンバナの間には、採り手がいないのでしょう…

                梅の実よりひとまわり大きなハナモモの実が、あちらこちらに落ちています。 

         

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          樹にも多く実をつけて、多分採り手が無いので落ちるのを待っているのかもしれません。


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                役場で書類を調え終えて、ほんの少し北へ太子道を走ります。

                「忍性菩薩御誕生之地」 石碑があります。
               
       鎌倉時代の僧侶で、建保5(1217)年現在の三宅町屏風に生まれました。

       生涯を病者や社会的弱者の救済、また、道路、橋の修復などに尽力し、

      我が国の社会福祉事業の先駆者といわれています。


      昨年の9月に 生誕800年記念特別展 忍性-救済に捧げた生涯- 奈良国立博物館

      で観覧させていただきました。



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         大型の車がどうにか通行できるくらいの、多分当時のままの細い道の部分もあります。

    白川神社 … 屏風杵築神社と相対する位置にあるのですが… 

    聖徳太子が愛馬の黒駒に乗り、従者調子麿を従え、斑鳩の宮から飛鳥の小墾田宮へ通われました。

    太子が乗る馬を曳くのは、聖徳太子の愛馬・黒駒の飼育係だったと伝えられる舎人の調子麿です。


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      境内に表面扁平な大きい石が半分ほど地下に埋もれたのがあります。

      伝説にいう聖徳太子が法隆寺から橘寺への道中、ここでお食事をとり、休息をとられたと、

      伝えられる「太子腰掛石」だそうです。


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                      川を挟んで向かい側、屏風杵築神社



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           村人が聖徳太子にお菓子などを献上して、

          もてなしている様子が描かれている「太子接待の絵馬」が残されています。


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                     「おかげ踊り」 絵馬 (県指定有形民俗文化財)


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                  カメラのバッテリーが無くなり、予備も無く、その場から戻りました。



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             実家の弟夫妻が、野菜、お米などを持って、立ち寄ってくれました。

             畑に植えているホオズキが終わりなので、好かったら…と。



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                     仏花に荘厳した残りを無造作に、花瓶に入れました。



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                大きな鬼灯は、赤い絹布の鬼灯を再度作ろうと思います。




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                   9年も前に作った絹布の鬼灯がまだ残っています。



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                  鬼灯を水に浸して腐らせ、繊維だけ残します。

                  白く仕上げたければ、漂白液を使います。


                  赤い絹の布を丸く切り、周りをぐし縫いをして、綿を詰めて絞ります。

              
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            仕上がった丸い球を糸をつけたまま、乾燥した鬼灯にそお~~~~と戻します。


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                  いまだに壊れず、色褪せず残っています。

                  クリーンの鬼灯も好いかもしれません …  お試しください。

   


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