2020年8月10日・11日
コロナの影響でお休みになっていた、お寺の行事が6か月ぶりに開催されました。
2028年から始まった「浄照寺伽藍整備事業」庫裏の改修工事が、7月末で完了しました。
庫裏お内佛 入仏法要準備
法要のため、お内仏に照明が点灯されました。
コロナ対策などで役員のみの法要参加
お勤めは 「十二禮」
献花 * 献灯 * 献香 お仏飯は赤飯
阿弥陀佛は「観無量寿経」に記された
「住立空中尊」を現代と伝統の技術を融合して再現されました。
壁画は紫系で統一され、蓮の花が一層「住立宮中尊」の厳かさが映えています。
観無量寿経を学び、紙芝居を仕上げて公演にも出向いた時のことを思い出し、
担当したメンバーが、このシーンのセリフを口ずさみました。
「突然阿弥陀さまが空中にお姿を現して、お立ちになりました。
その光明はあまりにもまばゆく、はっきりとお姿を見ることができません。
世界中の黄金を集めてもそのまばゆさにくらべようもありませんでした。
韋提希は阿弥陀さまを仰ぎ見てお釈迦さまに申し上げました。
「お釈迦さまが世を去られた後の人々は、どうすれば阿弥陀さまと菩薩さまを
見ることができるのでしょうか」
そこでお釈迦さまは韋提希に仰せになりました。
「韋提希よその阿弥陀さまを見たいと思うなら、蓮の花を想い、
その蓮の花びらの一つ一つが百の宝の色を持っていること思い描くがよい。」
「阿難よ、阿弥陀さまを思い描くには、まず蓮の台座を思い描き、
次にお阿弥陀さまを思い描くがよい。
その仏像を思い描き目を閉じていても開いていても金色に輝く一体の仏像が、
その蓮の花に座っておいでになる様子を常に思い浮かべるがよい。」
・・・・・・・・・・・
紙芝居王舎城の悲劇の一説を・・・・懐かしく。



庫裏内覧会、寺務所から玄関へ。
かっての雰囲気を残しながら基礎を補強、構造材を大幅に入れ替え、
安全な建物に。
美しい梁の形状。
玄関や応接間は円形を意匠として使用。
寺務所
円形を意匠 ・・・左はキッチン。
庫裏、御殿内覧会後、昨日引き続いて本堂にて、盂蘭盆会法要。
勤行 佛説阿弥陀経
法話 花岡 静人 師
ご讃題
親鸞聖人 ご消息(手紙)
新型コロナの猛威が話題を独占している昨今、人と病は切り離れることができない存在です。
科学や医学が発達した今日でもその脅威を消し去ることはできません。
平安から鎌倉の時代も度々「疫病」が蔓延して多くの人々が亡くなりました。
「疫」の語源は「役」(いやおうなく各人に振り分けられる仕事)に由来しているといいます。
忌まわしい現実を逃れたいために「改元」が行われ元号があらためられました。
何も打つ手立てがない中で「あたらしい時代」に期待することしか出来なかったのでしょう。
親鸞聖人が門弟に宛てた最晩年八十八歳の時のお手紙が残っています。
ソーシャル・ディスタンス(社会的距離)の確保を心がけての法要が謹修されました。
なによりも、去年・今年、老少男女おほくのひとびとの、死にあひて候ふらんことこそ、あはれに候へ。ただし生死無常のことわり、くはしく如来の説きおかせおはしまして候ふうへは、おどろきおぼしめすべからず候ふ。まづ善信(親鸞)が身には、臨終の善悪をば申さず、信心決定のひとは、疑なければ正定聚に住することにて候ふなり。さればこそ愚痴無智の人も、をはりもめでたく候へ。如来の御はからひにて往生するよし、ひとびとに申され候ひける、すこしもたがはず候ふなり。としごろおのおのに申し候ひしこと、たがはずこそ候へ、かまへて学生沙汰せさせたまひ候はで、往生をとげさせたまひ候ふべし。故法然聖人は、「浄土宗の人は愚者になりて往生す」と候ひしことを、たしかにうけたまはり候ひしうへに、ものもおぼえぬあさましきひとびとのまゐりたるを御覧じては、「往生必定すべし」とて、笑ませたまひしをみまゐらせ候ひき。文沙汰して、さかさかしきひとのまゐりたるをば、「往生はいかがあらんずらん」と、たしかにうけたまはりき。いまにいたるまでおもひあはせられ候ふなり。
ひとびとにすかされさせたまはで、御信心たぢろかせたまはずして、おのおの御往生候ふべきなり。
ただし、ひとにすかされさせたまひ候はずとも、信心の定まらぬ人は正定聚に住したまはずして、うかれたまひたる人なり。
乗信房にかやうに申し候ふやうを、ひとびとにも申され候ふべし。
あなかしこ、あなかしこ。
文応元年十一月十三日
善信八十八歳
乗信御房
今回のお話は親鸞聖人御消息から
新型コロナの猛威が話題を独占している昨今、人と病は切り離れることができない存在です。
科学や医学が発達した今日でもその脅威を消し去ることはできません。
平安から鎌倉の時代も度々「疫病」が蔓延して多くの人々が亡くなりました。
「疫」の語源は「役」(いやおうなく各人に振り分けられる仕事)に由来しているといいます。
忌まわしい現実を逃れたいために「改元」が行われ元号があらためられました。
何も打つ手立てがない中で「あたらしい時代」に期待することしか出来なかったのでしょう。
親鸞聖人が門弟に宛てた最晩年八十八歳の時のお手紙が残っています。
このお手紙は文応元(1260)年11月13日付けで、常陸の乗信房へ出されたお手紙です。
日付の分かっている聖人の最後のお手紙として知られています。
この世に生を受けた瞬間から、私たちは死すべき命と定められている存在です。
しかもその死は、いつどのようなかたちで訪れるか知れないことを、
すでに釈尊は「生死無常のことわり」としてお説きになられました。
だからこそ、「死なない者が死んだのではない。
死すべき者が命を終えていったのであるから、それは決して驚くべきことではない」と、
聖人はまことに厳しい言葉でおっしゃっていかれたのです。
日付の分かっている聖人の最後のお手紙として知られています。
この世に生を受けた瞬間から、私たちは死すべき命と定められている存在です。
しかもその死は、いつどのようなかたちで訪れるか知れないことを、
すでに釈尊は「生死無常のことわり」としてお説きになられました。
だからこそ、「死なない者が死んだのではない。
死すべき者が命を終えていったのであるから、それは決して驚くべきことではない」と、
聖人はまことに厳しい言葉でおっしゃっていかれたのです。
そのようなご法話を聴聞させていただきました。
ソーシャル・ディスタンス(社会的距離)の確保を心がけての法要が謹修されました。
半年ぶりにお会いできた法友、つい今の社会現象を忘れて・・・
好いですね・・・ つながっているお仲間って。
16:30 法要終了後、参拝の皆様にも庫裏、御殿内覧会が行われました。