11月15日(日)

浄照寺境内の銀杏、黄葉が一点の雲もないラピス色の空に映えます。
11月の行事「門信徒のつどい」は、コロナウイルの影響で、
例年のようになお斎は中止になり、午後からの行事に短縮されました。
13:00 音楽礼拝。
13:30 仏事の話 住職
「これだけは押さえておきたい 浄土真宗の作法と荘厳」
14:00 ご法話
釋 徹宗 先生
「歎異抄」 最終会
歎異抄 後序
右条々はみなもって信心のことなるよりおこりそうろうか。
故聖人の御ものがたりに、法然聖人の御とき、御弟子そのかずおおかりけるなかに、
おなじく御信心のひとも、すくなくおわしけるにこそ、
親鸞、御同朋の御なかにして、御相論のことそうらいけり。
そのゆえは、「善信が信心も、聖人の御信心もひとつなり」とおおせのそうらいければ、
勢観房、念仏房、なんどもうす御同朋達、もってのほかにあらそいたまいて、
「いかでか聖人の御信心に善信房の信心、ひとつにはあるべきぞ」とそうらいければ、
「聖人の御智慧才覚ひろくおわしますに、一ならんともうさばこそ、ひがごとならめ。
往生の信心においては、まったくことなることなし、ただひとつなり」と御返答ありけれども、
なお、「いかでかその義あらん」という疑難ありければ、詮ずるところ聖人の御まえにて、
なお、「いかでかその義あらん」という疑難ありければ、詮ずるところ聖人の御まえにて、
自他の是非をさだむべきにて、この子細をもうしあげければ、法然聖人のおおせには、
「源空が信心も、如来よりたまわりたる信心なり。
善信房の信心も如来よりたまわらせたまいたる信心なり。
されば、ただひとつなり。
別の信心にておわしまさんひとは、源空がまいらんずる浄土へは、よもまいらせたまいそうらわじ」
とおおせそうらいしかば、当時の一向専修のひとびとのなかにも、
親鸞の御信心にひとつならぬ御こともそうろうらんとおぼえそうろう。
(・・・・)
二項対立は自身の脳で作っている。



(・・・・)
仏教は「二項対立」していることを避ける教え。
二項対立は自身の脳で作っている。



太鼓楼と、350有余年の間浄照寺の歴史を見守ってきた銀杏。
最後まで聴聞したかったのですが、連れ合いとの約束時刻に近付いたので帰宅。
「待ってた!待ってた!」 ・・・ と。
「弱気になったなあ・・・・頑固なところもう少し弱くなればいいのに!」(笑)
11月16日(月)

快晴・・・小春日和
病院へ通っていた間、気付かなかったフユザクラの樹に花が。
例年より少し早い開花のようです。
今年は全体の樹に咲く花の割合が少し少なく感じます。
・・・・と言うことは2度目に咲く春の開花が多くなるのかなあ・・・
花弁は、薄緑から薄ピンクに変化、最後はピンク色に・・・
花弁はハラハラと散ることなく、枝に残って枯れて残ります。