11月29日(土)



中尾山古墳は国営飛鳥歴史公園 高松塚周辺地区内に位置し、世界遺産候補「飛鳥・藤原の宮都とその関連資産群」の
構成資産でり、明日香村教育委員会による発掘調査が行われています。今回の調査では、8世紀初めに築かれた同古墳が3段築成の八角形墳であることや、周囲を3重の石敷きが巡っていたことまた、被葬者の遺骨を納めた石室には精巧な造作が施され、内面は磨き上げられて「水銀朱」が塗られていたことも確認した。
専門家は飛鳥時代の文武(もんむ)天皇陵だった可能性が高まったと指摘する。
そのような報道とともに現地件見学会実施されることを知って、
連れ合いの昼寝の時間を利用して参加させてもらいました。
予定を2時間に決め、できるだけ混まない昼食時に設定。
飛鳥駅を下車した方たち、方向は中尾山古墳・・・雨が落ちてきました。
国営飛鳥歴史公園館前の サザンカ(山茶花)の大木が満開。
公園館前に見学用に用意くださった受付 ・・・ 12:15
新型コロナウイルス対策のため、入り口では連絡先の記入や検温を実施されています。
今回発掘調査のカラー刷り、B44サイズのリーフレットと
47班と記された班分けの案内をいただきました。
雨が本降りになってきたようです。
予想通りお昼休み、1班の見学者人数は10人足らず。
教育委員会からの説明の後、現地ボランティアさんの案内で中尾山古墳へ移動。
史跡中尾山古墳は明日香の隠れた紅葉の名所なので、
中央の紅葉が中尾山古墳見学地。
通常の通路は閉鎖されています・・・発掘用に設営されているテント。
真っ先にお目に留まった発掘現場
外周の石敷きは3重にめぐらされています。
過去の調査では2重と考えられていました。
1重目の一辺は約8・3メートル、2重目は約10・5メートル。
墳丘周りの紅葉は極力残されています。
3重目の正確な形は分かっていませんが、石敷き全体も墳丘と同じく
八角形だった可能性があります。
埋葬施設は凝灰岩と花崗岩の切石で造られた横口式石槨です。
石槨は底石(一石)・側石(各一石)・天井石(一石)・扉石(一石)・隅石(四石)の
外周見学後、墳丘に設置された埋葬見学場所へ移動。
埋葬施設は凝灰岩と花崗岩の切石で造られた横口式石槨です。
石槨は底石(一石)・側石(各一石)・天井石(一石)・扉石(一石)・隅石(四石)の
計十石から構成されています。
この凹部と四方の側石の間には約15cmの隙間があります。
底石は直方体を呈した花崗岩で上面を水平に加工し、
この凹部と四方の側石の間には約15cmの隙間があります。
底石は直方体を呈した花崗岩で上面を水平に加工し、
その中央部分に約60cm四方の凹部があります。
この凹部には骨蔵器等を安置するための台座が設置されていたと考えられます。
側石は直方体に加工した花崗岩の切石で平面形は凸形を呈しており、
扉石は凝灰岩製で石槨内面にあわせて浅い彫り込みがあり、
この凹部には骨蔵器等を安置するための台座が設置されていたと考えられます。
側石は直方体に加工した花崗岩の切石で平面形は凸形を呈しており、
奥壁と扉石とを組み合わせる構造となっています。
扉石は凝灰岩製で石槨内面にあわせて浅い彫り込みがあり、
石槨底石の凹部分に合うように浅いほぞ状の突出部があります。
さらに閉塞時の移動のために扉石の側面を一周するように幅6cm、
側石と扉石の四隅には石柱状の隅石が置かれています。
これらの石材の接合部には漆喰が使用されています。
石槨規模については内法が約90cm四方で壁面は丁寧に磨かれており、
さらに閉塞時の移動のために扉石の側面を一周するように幅6cm、
深さ7cmの溝が彫られています。
側石と扉石の四隅には石柱状の隅石が置かれています。
これらの石材の接合部には漆喰が使用されています。
石槨規模については内法が約90cm四方で壁面は丁寧に磨かれており、
水銀朱が塗布されています。
埋葬施設見学後、墳丘南側へ移動。
今回の調査結果によると、墳丘の対辺の長さは約19・5メートル、高さは5メートル以上。
1、2段目は大小の大量の石を垂直に積み上げた基壇状で、
最上段の3段目だけ土を突き固めた盛り土のみで八角形を形成する特異な構造をしている。
墳丘は下段部分が約47度の傾斜で正八角形状に川原石を巡らしており、
中段部分は約50度の角度で八角形状に石を巡らしています。
沓形を呈した凝灰岩製の石造物が二点出土しており、
中段部分は約50度の角度で八角形状に石を巡らしています。
沓形を呈した凝灰岩製の石造物が二点出土しており、
形状等から墳頂に設置されていたと考えられます。





久しぶり・・・束の間のリフレッシュ??・・・
見学最終場所
南側別名「中尾石墓」国の史跡碑の建立場所
説明の最終場所で質問に答えておられます。
西側には受付場所国営飛鳥歴史公園。
見学会終る頃には雨は小止みに。
順路に従って南側通路から公園へ。
人通りの無い明日香村の村道。
この道の左先、高松塚古墳。
長閑な明日香村の風景
蜜柑狩りに来られている方のようです。
高松塚古墳に立ち寄ってみました。
高松塚古墳から飛鳥歴史公園展望台へ。
13:00を過ぎると見学者は倍々増に。
一つの班の見学人数が倍以上になっています。
雨が上がりました。
雨が上がりました。
1時間30分で、公園入口に戻ってきました。
今回の見学会、 現場一帯は古代、「檜隈(ひのくま)」と呼ばれた地域で、続日本紀は文武天皇が火葬され、遺骨は「檜隈(ひのくまの)安古(あこの)山陵(みささぎ)」に葬られたと伝える。最初に火葬された天皇は持統天皇(文武天皇の祖母)で近くの野口王墓古墳の被葬者とされ、他に飛鳥時代に火葬された天皇は文武天皇に限られる。一方、宮内庁は中尾山古墳の南方約400メートルの栗原塚穴古墳(明日香村栗原)を文武天皇陵に指定している。今回は墳丘が八角形の3段(高さ4メートル以上)だったことを確認。
墳丘は3段とも土を突き固めた版築技法で造られ、中段、下段は縁に花こう岩を垂直に積んでいた。下段の1辺は約8メートル。墳丘を囲む八角形の石敷きでは、新たに3重目も発見した。3重目も八角形とみられる。古墳全体の石材は推定で約560トン。石室も改めて発掘。火葬骨を入れた容器が安置されていたと推定されているが、既に盗掘されており、副葬品も見つかっていない。石室は計10石から成る「横口式石槨(せっかく)」で、内面に塗られた朱も確認。さらに、墳頂の装飾に使われたとされる沓形石を再び出土させた。





約1300年前の飛鳥時代の天皇陵を目の当たりにして、ちょっと興奮。
古代のロマンの余韻を残しつつ14:30 帰宅。
古代のロマンの余韻を残しつつ14:30 帰宅。
久しぶり・・・束の間のリフレッシュ??・・・
顔を見るなり「待ってた!!よ・・・」と連れ合い。
頼りにされているようです!!