2月6日(月)

ひたすら買い物以外外出することなくステイホームの日々を過ごしています。
浄照寺初法座に続いて2月のご法座「今日の人権問題を考える」が開催されました。
13:30 勤行 らいはいのうた
14:00 ご法話
Δ コロナウイルス感染症と差別問題
「龍田寮事件」(黒髪校事件)
昭和29年に龍田寮児童通学拒否事件が起こりました。
(親がハンセン病者で、その子供達が、就学年齢になったので校区の小学校へ
入学しようとしますがPTAの一部が強固に反対した事件)
人権・教育権・医療と科学など重要な課題を、学校、教育行政、父母、地域住民、
さらに国政の場にも投げかけた、全国的に注目された問題であった。
学校の名前をとって黒髪校事件ともいう。 テキストより
Δ 私たちは何故このように攻撃的になるのでしょうか。
* アインシュタインとフロイトの書簡
人間から攻撃的な性質を取り除くなど、できそうにもない
* 宗祖の和讃
悪性さらにやめがたし こころは蛇蝎のごとくなり
修善も雑毒なるゆゑに 虚仮の行とぞなづけたる
(「正像末和讃」『註釈版聖典』六一七頁)
Δ 私たちがコロナウイルス感染症を恐れる本当の理由。
「100日後に死ぬワニ」(YouTube)を見て
漫画家・きくちゆうき氏がツイッター上で発表していた、『100日後に死ぬワニ』
2020年3月20日、そのタイトルどおり、
第100回目となる投稿をもって最終回を迎えたという。
本作は1日1話ずつ、毎日更新される4コママンガで、
「主人公であるワニが100日後に死んでしまう」と
いう設定で、当たり前の日常が描かれる。
ワニは、当然自分がやがて死ぬということを知らないまま、日常を過ごしていくが。
読者は「死まであと◯日」というカウントダウンを目にしてワニを見る。
最終的にきくち氏のフォロワー数は200万人を突破するまでになったそうです。
私自身の日常生活も、実際は「〇日後に死ぬ私」を生きているのでしょう。
しかし、ずーと生きる予定で過ごしています。
考えさせられるマンガです。
Δ 蓮如上人のお言葉(ご文章「疫癘章」4帳目第9通)
「当時このごろ、ことのほかに疫癘とてひと死去す。
これさらに疫癘によりてはじめて死するにはあらず。
生れはじめしよりして定まれる定業なり。
さのみふかくおどろくまじきことなり。
…略
末代の凡夫罪業のわれらたらんもの、罪はいかほどふかくとも、
われを一心にたのまん衆生をば、かならずすくふべし」
意訳 最近、ことに疫病で人が死んでいます。
しかし疫病が原因で死んでいるのではありません。
(死ぬことは)生まれたからには決まっていることなのです。
いまさら大きく驚くことではないでしょう。
けれど、今の情勢で亡くなると、やはり疫病が原因ではないかと、人は思ってしまいます。
これもよくわかります。
「救い無き時代のただび罪の生活をする私たちのような者は、罪はどれだけ深くても、
阿弥陀如来を一心に頼む人間を、必ず救うと誓う」とおっしゃってくださいました。
Δ 妖怪アマビエの流行
かなしきかなや道俗の良時吉日えらばしめ天神地祇をあがめつつト占祭祀つとめとす」
親鸞 『正像末和讃』『真宗聖典』509頁
Δ 「差別をしてはいけない」と誰でも知っている。 でも・・・
「人在世間愛欲之中、独生独死独去独来。
人、世間の愛欲の中にありて 独り生まれ、独り死し、独り去り、独り来る
當行至趣 苦楽之地 身自當之 無有代者 」
行に当り、苦楽の地に至り趣く 身、自らこれを当くるに、有も代わる者なし」
*人は不安と孤独から抜け出せない。
*人は人との関わりにお中でしか生きられない。
*人は分別(良し悪し)をしてしか生きられない。
*釈尊の「覚リ」 佛陀 目覚めた者 ・・・「覚り」を理解できない
梵天勧請
* 「我一切なり」(我は宇宙そのもの)
「ケシの粒の中に、三千大世界を入れて広からず狭からず」
覚え書きとして書き残しておきます。



いただき物があった大根、さらに友が大根を下さった。
例年のように干し大根に吊るしました。
時々、友たちが集まって近状を話して楽しむぐらいの日々です。
昨日は4婆たちのつどいで、温かいコーヒで静かな静かなおしゃべりを・・・