明日香村 牽牛子塚古墳(けんごしづかこふん)の整備完了して
6日から一般公開をニュースで知りました。
12年前牽牛子塚古墳発掘調査で八角形の古墳と分かり、
大化の改新で知られる中大兄皇子(天智天皇)の母、
斉明天皇の墓と有力視され、当時連れ合いと見学会に出かけました。
その後4年の歳月をかけて復元工事が完了したのです。
墳丘は高さ約5メートル、対辺の長さが約22メートル。
近鉄飛鳥駅下車、線路沿いに北へ、踏切を渡り細い道路を・・・
案内板通りに。
駅から徒歩15分位、だらだら坂を上り終えた所に見えました。
白いお山が。
近付くにつれて白いお山がドームのように見えます。
復元整備が完了した記念碑 「牽牛子塚古墳 ・ 越塚御門古墳」です。
整備された公園の古墳への階段を上がると、白いドームの古墳のすぐそばに越塚御門古墳が。
日本書紀の記述によれば「皇孫太田皇女を、斉明陵の前の墓に葬す」と。
牽牛子古墳が斉明天皇陵とすれば、越塚御門古墳・石室は
間違いなく斉明天皇の孫娘「太田皇女」の墓のようです。
白亜のドームの傍らにひっそり葬られています。
太田皇女は、天智天皇の娘で、後の持統天皇の姉。
持統天皇は我が子である草壁皇子を天皇とすべく大津の皇子を謀殺しますが、
その謀殺された大津の皇子の母にあたることになります。
若くして亡くなったようですが、わが子が我が妹によって謀殺されるのですね。
3代の女性が寄り添うように埋葬されている背後には、
母斉明天皇、妹間人皇女、娘太田皇女の3人の女性に対する、
最高権力者天智天皇の思いが込められているのかも。
石室を外から窺うことができます。
越塚御門古墳の隣り合わせの場所に、牽牛子塚古墳石室の入り口。
周りには発掘当時のように石が敷き詰められています。
石室正面入り口
真新しい凝灰岩切石が敷き詰められています。
一瞬あれ!!コンクリート”!”! 錯覚 違うよね。
中央の石室入り口。
巨石をくりぬいた石室は二つに分かれ、天智、天武両天皇の母である斉明天皇、
その娘の間人皇女の合葬墓と考えられているそうです。
墳丘を覆う石材は、築造時の二上山の凝灰岩に似た石川県産「滝ケ原石」を
次々に見学者が後に続きます。
墳丘から眺める明日香村
墳丘を覆う石材は、築造時の二上山の凝灰岩に似た石川県産「滝ケ原石」を
約2500枚使用しているとのことです。