本丸御殿は、尾張藩主の住居、藩の政庁として1615年(慶長20)に完成。
1930年(昭和5)、天守閣と国宝第一号に指定、1945年、空襲焼失しました。
その後、2009年(平成21)に工事に着手し第一級の史料をもとに復元工事を開始。
2018年(平成30)、往時の姿を忠実に復元した優美な空間が完成しました。
復元された名古屋城本丸御殿は、千年先へ、語り継ぐために・・・
ものづくりの技と知恵を結集、当時の資料をもとに細やかな部分まで
再現されてまさに芸術作品。
原則として400年前と同じ材料を使い、同じ工法で再現工事をしている。
いよいよ・・・当時の新築御殿に足を踏み入れ江戸時代にタイムスリップ。
玄関車寄
拝観者は本丸広場に長い行列になり拝観の順番を待ちます。
日影無し…暑い!!友が1時間待ち???と・・・直ぐよ」・・・と。宥める。
15分待ちでテントに誘導・・・ビデオを見ながら注意事項の説明を聞きます。
拝観入り口
基本的にはどこでも撮影が可能ですが、フラッシュや三脚の使用は禁止。
木製の下駄箱
檜の香りにつつまれた白木の空間が広がります。
檜の床板はすべすべでやわらかい感触が足に伝わります。
本丸御殿の正式な玄関、一之間へ。
本丸御殿の正式な玄関、一之間へ。
狩野派の絵師が描いたとする説がある「竹林豹虎図」
襖や壁には、金地の中に「虎」や「豹」が描かれています。
玄関二の間には床の間や違い棚。
玄関から大廊下を挟み奥へ、藩主が正式な謁見に用いた「表書院」。
襖や壁には、金地の中に「虎」や「豹」が描かれています。
玄関二の間には床の間や違い棚。
玄関一の間
玄関一の間
玄関二の間
大廊下は、玄関と奥を結ぶ重要な通路で、幅は3間(約6メートル)に及びます。
表書院は、江戸時代は広間と呼ばれ、藩主と来客や家臣との公的な謁見の場に。
表書院二の間表書院二之間。美しい松の障壁画。
表書院二の間
玄関から大廊下を挟み奥へ、藩主が正式な謁見に用いた「表書院」。
部屋の一番奥が「上段之間」、
尾張徳川家初代将軍・徳川義直が着座したと伝わる部屋。
「釘隠し」徳川家の裏家紋である六枚葉の葵"六葉の裏葵"が使われています。
上洛殿の引戸や襖に使われている引手金具。
内側には緑色の七宝細工が施されています。
筬欄間(おさ)と言われる様式の透かし彫りの格子があります。
天井、襖絵、彫刻欄間、最も贅が尽くされた「上洛殿」へ!
上洛殿の廊下に施された花狭間格子欄間
折り上げ天井に黒い漆塗りを組み合わせた「黒漆二重折上げ小組格天井」。
尾張徳川家ならではの贅を凝らした飾金具
本丸御殿で最も格式の高い部屋である上洛殿上段之間。
廊下から上洛殿
表書院一の間
「釘隠し」徳川家の裏家紋である六枚葉の葵"六葉の裏葵"が使われています。
上洛殿の引戸や襖に使われている引手金具。
内側には緑色の七宝細工が施されています。
筬欄間(おさ)と言われる様式の透かし彫りの格子があります。
天井、襖絵、彫刻欄間、最も贅が尽くされた「上洛殿」へ!
上洛殿の廊下に施された花狭間格子欄間
表書院上段の間
対面所上段の間
対面所上段の間
対面所上段の間
折り上げ天井に黒い漆塗りを組み合わせた「黒漆二重折上げ小組格天井」。
鷺の廊下
鷺の廊下反対側 対面所と上洛殿を結ぶ廊下。
尾張徳川家ならではの贅を凝らした飾金具
上洛殿一の間
上洛殿上段の間
本丸御殿で最も格式の高い部屋である上洛殿上段之間。
一級の日本建築・美術・工芸の最高峰の技術の結晶を堪能。
どこに目を向けても美術、工芸、建築の最高峰の技術の粋が注ぎ込まれ、
施設まるごと歴史ミュージアムといえるのです。
再度訪れてみたいですが・・・多分不可能。
好い機会に恵まれました。